スワート渓谷の人々と歴史[破天荒過ぎるパキスタン起業]

スワート渓谷の人々と歴史[破天荒過ぎるパキスタン起業]

こんにちは。
EARTHRISE代表兼ジュエリーデザイナーの小幡星子です。^^

前回は、私が起業したスワート渓谷の場所と、
初登場の現地パートナーとの小話(?)をご紹介いたしました。^^

こちらでは、スワートに住む人のこと、
スワート渓谷の歴史を少しご紹介いたします。


(Googleマップより)

私が起業したのは、スワート渓谷のミンゴラです。
(ピンクの○印の部分です)
ミンゴラは、スワート渓谷の中心都市で、
標高980mに位置しています。

紀元前から中国との交易も行われていた、
歴史ある都市です。

スワート渓谷は薄い赤色に塗られているエリアで、
ミンゴラから車で北へ30分も行くと、
風景ががらりと変わり、山岳地帯が広がっています。

真ん中に流れる川が、スワート川です。
ヒマラヤ連山の雪解け水のため、真夏の35度を超える日が続いても
水温が5度ほどしかありません。

現地パートナーのザイーさん
「Shokoさん、スワート川に5分入っていると、唇がパープルになるネ!
(o^∇^o)ノ どう?どうかな? 入ってみる? 笑」

そこまで言われて、入れるわけないでしょう。( ̄▽ ̄;)!!

真夏のスワート川に人が入っていないのも納得でした。
(足首くらいまで入っている人は時々います。が、長時間は命が危ないです。)

川の近くはとても涼しくて心地よい風が吹き、
汗がすーっと引き、
火照った身体を冷やしてくれいます。

スワート渓谷には、パシュトゥーン人が多く住み、
イスラム教を信仰しています。

ミンゴラは都会なので、リベラルな考え方の方が多い方です。
(イスラマバードに比べたら、保守的な考えを持つ人が多いです。)

スワートの田舎へ行くと、
保守的な考え方の方が圧倒的に多く、
外国の女性観光客ですら、バザール(市場)内で
顔を隠さないといけない場合があります。

また、隣国のアフガニスタンはほぼパシュトゥーン人。
そのため、アフガニスタンとパキスタンの国境近くの地域には
パシュトゥーン人が多く住んでいます。

彼らにしてみれば、自分は「パキスタン人」という国単位の観念よりも、
「パシュトゥーン人」という民族単位での観念を持つ人のほうが多いです。

パキスタン国民になって、まだ半世紀。
パシュトゥーン人という部族単位での歴史の方がずっと長いためです。

パシュトゥーン人の文化も独特なものがあります。
また別の機会にご紹介いたしますが、
パシュトゥーン人のエリアで外国人、
しかも女性が起業すること自体が特殊です。
スワートもパキスタンでは特殊なエリアです。
そのため、パキスタン事情をご存知の方に
スワートで起業したとお話をすると、驚かれます。
私はそのあたりの事情を、起業するまで知りませんでした。汗

ザイーさんは、
「No problem, ショーコさん(o^∇^o)ノ」

としか言ってくれなかったので。。。

※パキスタン人が言う「No problem」は、プロブレム(問題)だらけです!!
気をつけてください。苦笑

このエリアでは、パシュトゥーン人の言葉であるパシュトゥー語と、
ウルドゥー語(パキスタンの公用語)が話されています。

日本の小学生あたりになると、子供達はウルドゥー語を習うそうです。

私にはまだパシュトゥー語とウルドゥー語の区別がつきません。^^;
言葉がまったく違うそうですよ。

次のブログで触れますが、タリバンに支配されるまでは
スワートは観光地として人気があったため、
世界中から観光客が押し寄せる場所でした。

そのため、片言の日本語や英語を話せる商人たちもいます。

逆に一般の人には、英語が全く通じない場合も多いです。

スワートも親日家の方がとても多いので、

「ジャパーニ!ジャパーニ!ウェルカム!」

※ジャパーニ=日本人のこと

あちこちでチャイに誘われます。

バザール(市場)には、日本の中古洗濯機もたくさん売っています。^^

食事はカレーが一般的で、
バザール(市場)にはカラフルな香辛料が
見事なまでに山盛りになって量り売りされています。

いつも思うのですが、強風が吹いたらどうなるのでしょうか?

スワートで感動したのが、お米。

パキスタンの他のエリアとお米の種類が異なり、
日本のお米に近いです!
パサパサではなく、モチモチしていて美味しいです^^

なので、スワートで頂くカレーは凄く美味しいです!!

スパイシーすぎる時もあるので、
辛くないようお願いする必要はあります。

そして、パシュトゥーン人といっても、
アラブ系の濃ゆいお顔立ちの方もいますが、
↑のスパイスが写っている写真、
左下には金髪碧眼のお兄さんが写っています。

これも土地柄なのですが、スワートは昔、
アレキサンダー大王が攻めてきたため、
そのまま住み着いたギリシャ人たちの末裔が多いそうです。
(これには諸説ありますが。。)

ギリシャ人って金髪碧眼??と思ったのですが、
ギリシャも様々な民族が混ざっています。
歴史書を紐解くと、あながち嘘ではないのかなと思います。

西洋風の身なりをして、話さなければ、
まずパキスタン人に見えません!

そういう人をちらほら見かけます。

さらに、パキスタンには美男美女が溢れていますが、
スワートは特に美男美女が多いです。

パキスタンは広いですが、地域や民族によって
特徴が少しずつ異なります。
もちろん、隣国や中東諸国の方々との混血の方もたくさんいらっしゃいます。

スワートの人の特徴として、
肌が白くて、目が大きくて、鼻筋が通った美しい顔立ちの方が多いです。

ザイーさんのお嬢さん達も色白で美人さん♡


「なんでザイーさんだけ肌が真っ黒なの?」

ザイーさん
「ワタシ、仕事大好きネ!だから、いーーーーっぱい肌焦げちゃうネ ヾ(@^▽^@)ノ !!」

あ、焦げちゃうのね。。。
確かに、パキスタンは日差しが強いです。
砂漠みたいです。

そっと日焼け止めを差し出したら、
面白おかしく身体中に塗りたくっていらっしゃいました。


パノラマでバザールを撮影してみました。

朝早かったので、人通りはまばらですが、
お昼頃になると、大渋滞&人で活気あふれる場所です。^^

 

スワート渓谷の歴史

歴史を遡ること紀元前5世紀、
釈迦が悟りを開いた地(ガンダーラ)として、

紀元前4世紀には
アレキサンダー大王が逗留した地として、

また、7世紀には
三蔵法師が訪れた地として、

スワート渓谷は歴史に名を残しています。

歴史にこの地が登場したのは、
紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャの支配下になった頃から。

紀元前1世紀から仏教文明が栄え、
11世紀からはトルコ系イスラム王朝の
ガズニ朝の支配下となり、
イスラム教が浸透してゆきました。

その後、現在のパキスタンにあたる地域の多くは
ムガル帝国の支配を受けていましたが、
スワート渓谷では部族社会が続きました。

19世紀に入ると、
イギリスの直接統治が広がる中、
部族ごとに藩王国が建国します。

スワートもこの流れに乗り、
スワート藩王国が誕生しました。

イギリス軍と協定を結んだことで
イギリス統治下にありましたが、
干渉されることはありませんでした。

最後に即位した藩王(ザイーさんの親友)は、
イギリス式の教育を受けて育ち、
教育やインフラに力を入れ、
情勢不安が続くパキスタン内で
安定した統治を続け、発展してゆきました。

パキスタン政府による藩王国廃止と共に、
1969年にスワートはパキスタンの一部となりましたが、
現在もスワートの王族は大きな影響力を持っています。

パキスタンでは、政治家よりも軍の力の方が強いのですが、
スワートでは軍よりも王族の方が力があります。

実はとても面白い歴史を持つ、スワート渓谷。


「ザイーさん、ガンダーラってどこ??ミンゴラから遠いの?」

ザイーさん
「え!?今通り過ぎたヨ!ホラ!!」


「え!?どこ(゚◇゚=) (=゚◇゚)!??」

ザイーさん
「あの建物の裏ネ!」


「そんなところにあるの!?(建物があって全然見えません。。)」

ザイーさん
「イエス、イエス!でも、ショーコさん忙しいネ。時間ないネ。それに、いつも具合悪いネ!」


「う・・・。」

ザイーさん
「それにこの間通った道、三蔵法師が来た場所ネ。」


「え!?ちょっと(_□_;)!!!
なんでその時に言ってくれないのよ〜〜〜〜〜!!!」

ザイーさん
「ダッテ。ショーコさん、車酔いして、
頭も心もグルグルだったネ。 ┐(´ー`)┌フゥ。」


「・・・・・(TmT)ウゥゥ・・・涙」

私は、子供の頃から乗り物酔いが尋常ではありません。
日本にいても、体調がすぐれないと電車で酔います。
出張中は毎日酔い止め薬を飲んでいます。
それでも、体調によっては全く効かないことも多々。。。
胃腸も丈夫な方では決してありませんし。。
体が丈夫な方が羨ましいです。

いつも出張の時は過密スケジュールで
観光らしい観光も出来ていませんが、
次回あたりはガンダーラを観光してこようと思います。

たくさんお写真を撮ってきますね^^