ここは、パキスタンのスワート渓谷。
標高約2,000m以上の北ヒマラヤ連山に降り積もった雪は、春の暖かな日差しを受けて雪解け水となり、大地を潤しながら、美しいエメラルドグリーンの川となって渓谷をゆったりと流れてゆく。
古代からこの地は〔ウディヤーナ(庭園)〕と呼ばれ、世界各地から多くの人々が訪れていました。
東京からバンコク経由で14時間半のフライトを経て、パキスタンの首都イスラマバードに到着。さらに、車で走ること7〜9時間。
透き通った空気と、瑞々しい緑豊かな渓谷に囲まれたスワートにたどりつきます。
2016年、この地に史上初となる女性起業&宝石研磨工房を設立いたしました。
スワート渓谷とは
歴史を遡ること紀元前5世紀、釈迦が悟りを開いた地〔ガンダーラ〕として、紀元前4世紀にはアレキサンダー大王(アレキサンドロス3世)が逗留した地として、7世紀には三蔵法師が訪れた地として、スワート渓谷は歴史に名を残しています。
1961年、スワート渓谷(当時のスワート藩王国)を訪れたイギリスのエリザベス女王は、スワートの美しい景観を「東洋のスイス」と讃えました。以降、欧米をはじめ世界中から観光客が訪れるようになりました。日本からも年間数十のツアーが組まれ、シルクロードを通る人気の観光スポットでした。タリバンに支配される2009年までは・・・。
タリバン支配
スワート渓谷は緑豊かな自然や仏教遺跡が数多く残る地。そのため、世界中から観光や巡礼で多くの人々が訪れていました。
しかし、2007年から活動を開始したイスラム過激派勢力タリバン(パキスタン・タリバーン運動=TTP)が、2009年にスワート渓谷を完全支配したことで、すべてが変わりました。
(ABC NEWS)
200以上の学校が爆破され、女の子は学校へ行くこと、勉強することを禁じられました。
タリバンに反対する住民たちは公開処刑され、遺体は街の至るところに晒されました。警察関係者も8割近くが命を落としました。
人々は自由に外出することもできなくなりました。
貴重な仏教遺跡も破壊されていきました。
(NHK)
度重なる武装勢力とパキスタン軍との戦闘で、街は破壊され、食料や医薬品といった生活必需品も入ってこなくなりました。
この惨劇の中、2009年だけでもスワート渓谷から避難民が200万人以上(UNHCR発表)出ました。その後、タリバンによる恐怖支配は3年続きました。
2012年、パキスタン軍によるタリバン掃討作戦が成功を収め、再びスワート渓谷に平和が戻りました。
しかし、昔のような活気は戻らず、経済も停滞し、観光客が戻ることもありません。
同地区の渡航レベルは1〜4のうち、最も危険とされる4のままです(日本の外務省発表。2017年10月現在)。
2017年に入り、再びスワートの学校が攻撃を受けました。スワート渓谷はパキスタン軍が24時間体制で人の出入りを監視しています。それでも、タリバンの不穏な動きが出てきたため、再び彼らに支配されるのではないかと、地元住民たちは恐怖を抱えて暮らしています。
ノーベル平和賞
一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えられるのです。
2014年、一人の少女がノーベル平和賞を受賞しました。
スワート渓谷がタリバン支配に置かれていた時、BBCを通じて現地の様子をインターネットで発信し、女性が教育を受ける権利を訴えていたマララ・ユスフザイさん。
彼女はタリバンに命を狙われるようになり、2012年10月9日、学校の帰り道にタリバンに銃撃され重傷を負いました。
その後、奇跡的に回復し、2014年に最年少でノーベル平和賞を受賞しました。
彼女が情報を発信をしていたのが、スワート渓谷の中心都市ミンゴラでした。
研磨工房設立
現在スワートでは、仕事がない若者たちが溢れかえり、職を求めて出稼ぎに出ています。
また、女性が働ける環境が非常に少ないため、子供達は止むを得ず学校へ行くことを諦めて、朝から晩まで物乞いをしたり、低賃金労働を強いられています。
中には、タリバンからの誘惑に負けて、わずかなお金と食料のためだけにタリバン兵になることを志願する子供たちもいます。
彼らは自爆テロ犯として戦闘訓練を受け、20歳を迎える前に死んでいきます。罪のない多くの犠牲者と共に。
この負の連鎖を断ち切るには、新しい希望と、新しい事業が必要です。
わたしたちは、一時的な寄付だけはなく、サスティナブル(持続可能)な取り組みを通して、地域に根付いた事業を行ってゆくことが最も重要だと考えています。そこで、現地パートナーの故郷でもあるスワート渓谷に研磨工房を設立いたしました。
研磨工房では、スワートNO.1の研磨職人を中心に、
宝石の研磨技術の継承、地域活性化、
職業訓練の一環として、若者への研磨技術の指導を無料で行っています。
また、奨学金制度を設け、貧困のため学校へ通えない子供へ学費・制服代を支給しています。
2017年からは、女性の研磨職人の育成に取り組んでいます。
多彩な宝石を育む地。
パキスタンには、アクアマリン、ルビー、サファイア、クォーツ、トパーズ、ペリドットなど様々な宝石が産出します。
スワート渓谷にもエメラルドやトルマリンの鉱山があります。
しかし、その多くは原石の状態で買い叩かれ、他国に流出しています。
国内で研磨まで出来るようになれば、原石よりも高値で取引ができ、女性や若者の雇用創出につながり、人々が豊かな生活を送れるようになります。
研磨工房では、主にパキスタンでフェアに取引された宝石の原石を仕入れて研磨をしています。
愛と希望のきらめき
タリバン支配下、
男女平等という考え方を持つ現地パートナーは、
幾度となくタリバンに命を狙われました。
タリバンとパキスタン軍の攻防が続くさなか、
現地の悲惨な状況をリアルタイムで聞いてきました。
ーなんとかしたい。
夢・希望を見出せるように、
現地の職人とその家族が幸せになれるように。
あれから4年が経ちました。
ベテラン、若手、そして女性が研磨する場所を作ることが出来ました。
現地にいると、タリバンと彼らの支援者(サポーター)の脅威を肌で感じます。
けれども、幸せの連鎖を少しずつでも広げてゆきたい。
その思いが原動力となっています。
最近では、職人の子供たち、近所の子供たちが学校帰りに工房へ遊びに来るようになり、
工房内は笑顔と活気が溢れています。
これもひとえに、スワートに留まらず、パキスタン、日本の方々のお力添えのお陰と深く感謝をしております。
スワートの研磨工房で研磨した宝石がジュエリーとなり、
つくる人とつける人の物語と幸せをつむいでゆけるよう
今後も精進してまいります。
緑豊かな渓谷に囲まれた地で、愛と希望がこめられた、
きらめく宝石をご愛用いただけますと幸いです。
代表・ジュエリーデザイナー 小幡星子
研磨工房プロジェクト
1.女性の研磨職人を育てること(自立支援)
女性が自立して稼ぐことができれば、家庭は潤い、子供たちが学校へ通えるようになり、貧困からも抜け出せます。
現状では、貧困、未亡人、読み書きができない、手に職のない女性はまともに働くことが出来ません。保守層が多い地域では、女性が自由に働くこともできません。そのため、物乞いすることしか出来ず、苦しい生活を強いられています。
貧困層の中には、母親の代わりに子供が物乞い、もしくは低賃金労働を朝から晩までおこない、1日の食費を稼いでいるケースも多いです。家族を支えるために、大好きだった学校を10歳で諦めた子供もいました。その後、子供たちは学校へ通えず、読み書きすら満足に出来ないまま大人になります。そうすると、まともな仕事に就けず、貧困という負の連鎖から抜け出せません。残念ながら、目先のお金のためだけに、武装勢力に加わる子供もいます。
このような背景から、働きたいと願う女性の支援を兼ねて、研磨職人を育てています。
また、研磨の仕事を通して、女性の自尊心を育てることができます。
彼女たちの手仕事が、遠く離れた日本の人々に喜ばれていることを伝えると、照れながらも満面の笑みを浮かべます。そして、母親の喜ぶ姿を目の当たりにしている子供たちにも良い影響を与えています。
この幸せの連鎖をつむいでいけるよう尽力しています。
2.教育支援(奨学金制度)
貧困家庭の子供が学校へ通えるように、奨学金制度(返済不要)を設置。卒業するまで、学業に関わるすべての費用を保証しています。
3.若者支援(職業訓練)
職業訓練の一環として、熟練した職人が若者へ研磨技術を無償で指導しています。
4.社会への貢献
研磨工房を拡大することで、地域の活性化を目指しています。
また、地元のNGOや名士と協働し、以下の活動を行っています。
・研磨以外にも女性の手仕事を活かした新商品の開発。
・新たな学校建設、教育支援。
Pakistan Jewelry Collection
研磨工房を設立してから一年。念願のジュエリーが完成いたしました。
EARTHRISE GEMS STUDIOでカラーストーンを研磨し、表参道の店舗併設のアトリエでジュエリーを制作しております。