こんにちは。
EARTHRISE代表兼ジュエリーデザイナーの小幡星子(おばたしょうこ)です。

前回は、スワート渓谷の人々と
歴史についてご紹介いたしました。

今回は、スワート渓谷の暗黒時代をご紹介いたします。

スワート渓谷は、
緑豊かな自然や、仏教遺跡が数多く残る地です。

歴史的にとても興味深い背景を持っています。

そのため、世界中から観光客が訪れたり、
巡礼地として多くの人々が訪れていました。

しかし、2007年から武装勢力タリバン(パキスタン・タリバン運動)が、
スワート渓谷で活動を開始し、

2009年にスワート渓谷を支配したことで、すべてが変わりました。

タリバンの拠点があった場所@スワート、パキスタン

写真中央、森林の中にタリバンの拠点がありました。
(スワート渓谷の中心都市ミンゴラにて)

分かっているだけでも184の学校が爆破され、
女の子は学校へ行くこと、
勉強することを禁じられました。

やがて、食料や医薬品といった
生活必需品がスワートへ入ってこなくなりました。

タリバンの命令で、人々は自由に外出することも
出来なくなりました。

タリバンはスワートでイスラム法を導入し、
違反した者へ厳しい処罰を加えました。

女性は、ブルカ(顔を全て覆うアフガニスタン・スタイル)の
着用を強制されました。

貴重な仏教遺跡は、いくつも破壊されてしまいました。

タリバンによる遺跡破壊

(顔部分が破壊された遺跡)

タリバンに反対する住民たちは公開処刑されました。

警察関係者も8割近くが命を落としました。

この惨劇の中、2009年だけでもスワート渓谷から
避難民が200万人以上(UNHCR発表)出ました。

その後、タリバンによる恐怖支配は3年も続きました。

2009年にタリバンがスワート渓谷で行っていたことと、
IS(イスラム国)がシリアで行っていることが、
少し重なって見えます。

■■2009年当時のスワート渓谷の様子(ABCニュース)■■
日本語音声付きなので、
ご興味のある方は動画をご覧ください。
わかりやすく説明しています。

■■2009年当時のNHKニュース動画■■
こちらも、とても分かりやすく説明しています。

2012年、パキスタン軍による
タリバン掃討作戦が成功を収め、
再びスワート渓谷に平和が戻りました。

タリバンが撤退してから現在まで、
スワートでは一度もテロは起こっていません。

本当に平和です。
夜、女性や子供が一人でお出掛けしても大丈夫です。

しかし、昔のような活気は戻らず、
経済は停滞したままで、
現在も昔のように観光客が戻ることはありません。

なぜならば、各国のスワート渓谷への渡航レベルは
1〜4のうち、最も危険な4のままのためです。

再びタリバンがこの地に戻ってこないように、
パキスタン軍が現在も24時間体制でスワート渓谷を守っています。

パキスタン軍が守ってくれているから、
スワートが平和であることも事実です。

「もしもパキスタン軍が撤退してしまったら…。」

再びタリバンの支配下に置かれるのではないかと、
今でも地元の人々は恐怖を抱えています。

タリバンにとって、スワート渓谷は故郷のようなもの。
虎視眈眈と、スワートへ戻ることを考えているという話も聞きました。

現地パートナーのザイーさんと知り合ったのは、2010年のこと。

国際電話で話している時、
電話越しに銃声が聞こえたこともありました。


「?今の雑音は何?テレビ?」

ザイーさん
「ショーコさん、今のはマシンガンの音ネ!今、すっごぉぉぉぉく危ないネ、ココ!
私も命狙われてるネ。」

ザイーさん、よくタリバンに命を狙われて、
生き延びることが出来たな…と思います。

ザイーさんとタリバンのお話は
また別の機会にご紹介いたします。

こちらは、ミンゴラにある小学校へ訪問した時のお写真です。

スワートの学校と女性学生たち

今では男女ともに子供達が学校へ通い、
笑顔と笑い声が響く平和な時が流れています。